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ネイルズユニーク水野社長|日本一のネイルサロンに学ぶ④

「日本のネイルサロンは発展途上。まだまだ伸びます」

116店舗のロケーション、その多くはデパートやショッピングセンターだが、ネイルビジネスの草創期に進出していくにはどんな極意があったのだろうか。

「出店交渉は堂々と、正面玄関から行った方がいいですね。それは実績を作るってことですが、名前も何もない時にどうしたかというと、短期のイベントを4回、5回とやってそれを実績にしていました」。

いまや、街やショッピングセンターを活性化するために、ネイルサロンはなくてはならない存在になってきた。

今後の展望を伺うと、「お客さまは確実に増えますから、サロンオーナーはいま、下地を作るいい時期ですよ。絶対に確信があります。お客さまを大切にしながら、一定の距離感を持って、世代のバトンタッチを継続的にしていくといいですね」と、ネイルズユニーク社長は語る。

お客さまも年々加齢していくから、旧来の顧客だけを大切にしていては、いつしか世代のギャップが生まれてしまう。そのためには、新しい(若い)顧客の確保でサロンの活性化を導く必要があるという。

ネイルズユニーク水野社長|日本一のネイルサロンに学ぶ③

ネイルズユニークロゴ

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父親との約束100店舗達成

100店舗達成は2005年春 客層別に3ブランドでサロン展開

1997年に9店舗、1998年からは毎年2桁台ペースで店舗数を拡げていった。東京への進出も1997年を皮切りに、1998年には博多、名古屋にもサロンをオープン。日本中に張り巡らされる支店網、目を瞠る躍進ぶりに誰もが驚愕するなか、2005年春、念願の100店舗を達成!

「父が生きている間に…の思いが叶い、見届けてもらうことができました」。
自社のホームページには来年の春までの開業、リニューアル予定がぎっしりと掲載されている。
「新規にオープンする一方で撤退する店もあります。そもそもの目標は100店舗でしたし、これ以上拡大したいという気持ちはないのです」。

ネイルズユニーク水野社長は確信をもって語る。
「ゴールは100店舗だった。一気に突っ走ってきたから、急には止まれない。今は助走で走っているだけと。」
現在、コンセプト別に3ブランド(ネイルズユニーク、ラ・ネイル、アルティミッド)を展開。
「お客さまは年代、趣味志向、収入によっても行くところが違うので、ターゲットにあわせてポリシーの振り分けをしているんですよ。メニューや価格、ネイリストのユニフォームもすべて違いますし、インテリアもグレードも変えています」。

700品目を超えるネイルグッズ

ちなみに

  • ネイルズユニーク』は、700品目を越えるネイルグッズを取り揃えるスタンダードなネイルサロン。
  • ラ・ネイル』は、オープン形式の気軽に行けるネイルサロンで、リーズナブルな値段設定。
  • アルティミッド』は、最先端のネイルサービスを提供するとともに、オリジナルマニキュア&ネイルアート用品も販売。

当然、ネイリストもブランドの個性を考えての配属。3ブランドにコンセプトをわけていても、「ネイルサロンは、女性のお客さまにリラックスしていただくための場所でありたい」が、ネイルズユニークオブジャパンの一貫したポリシーである。

ネイルズユニーク水野社長|日本一のネイルサロンに学ぶ①

サロンサクセス

「サロン運営の現実が知りたい」

ネイリストに夢を与え続ける技術者としてのカリスマ性、ネイルサロンのトップ経営者として手腕を発揮するJNA講師会会長でもある水野義夫氏。その原点と真実から、サロンサクセスを導く、珠玉の法則を学びたい。

創業時の思い出

「ネイルサロンも法人化すべき。税法上の特典があります」

全国に116店舗のネイルサロン、従業員数550名、年商48億円(2006年度売上げ)のネイルズユニークオブジャパンを率いる総帥・水野義夫社長。

ネイルサロン第1号店を神戸・北野にオープンしたのは1986年4月20日。アメリカから帰国後、間もなくのこと。

「サロンを始めたのは、まず自分の生活のためだったと思いますよ。朝、店を開けて予約表を確認して、床やトイレの掃除、レジに釣り銭の準備をしてお客さまを待つんです」ー創業は21年前、たった一人のスタート。

「ネイルが好きだったから、好きの延長線上でやって行けたらいいと思っていただけです。野心を持って始めたわけではなくて、やってしまってから”どうしよう”というのが、僕の人生みたいで」と笑い飛ばすが、これまですべてが順風満帆だったわけではない。

「オープン翌日から10日間、お客さまはゼロでした。”無謀だったか?!”しばしばため息をついては、店内の掃除とアートサンプルづくりで時間をつぶす毎日…」。

やがてLA帰りのトップネイリストのサロンは口コミで広がり、お客さまも増え始めた。半年後の9月には、ネイルスクール(神戸本校)も開校。神戸北野店の拡張や改装と着実に実績を伸ばしつつ、法人化は1990年。

「法人化にしても大それた野望があったわけではありません。法人にすると税法上の特典が色々あるという、それだけの理由でした。いま個人でサロンをやっている方にも、会社にすることをお奨めしますよ。法人化することはそれほど難しいことではありませんから」。