月別アーカイブ: 2013年10月

ネイルズユニーク水野社長|日本一のネイルサロンに学ぶ④

「日本のネイルサロンは発展途上。まだまだ伸びます」

116店舗のロケーション、その多くはデパートやショッピングセンターだが、ネイルビジネスの草創期に進出していくにはどんな極意があったのだろうか。

「出店交渉は堂々と、正面玄関から行った方がいいですね。それは実績を作るってことですが、名前も何もない時にどうしたかというと、短期のイベントを4回、5回とやってそれを実績にしていました」。

いまや、街やショッピングセンターを活性化するために、ネイルサロンはなくてはならない存在になってきた。

今後の展望を伺うと、「お客さまは確実に増えますから、サロンオーナーはいま、下地を作るいい時期ですよ。絶対に確信があります。お客さまを大切にしながら、一定の距離感を持って、世代のバトンタッチを継続的にしていくといいですね」と、ネイルズユニーク社長は語る。

お客さまも年々加齢していくから、旧来の顧客だけを大切にしていては、いつしか世代のギャップが生まれてしまう。そのためには、新しい(若い)顧客の確保でサロンの活性化を導く必要があるという。

ネイルズユニーク フリップ

ネイルズユニークの全サービスを提供できるネイルズユニーク フリップ。 ゆったりとくつろげるフットルームでは、贅沢なひとときを提供致します。 また、メンズのメニューもご用意しておりますのでカップルでもご利用頂けます。

 

ネイルズユニーク フリップ|ららぽーとTOKYO-BAY|ショップガイド

ネイルズユニーク水野社長|日本一のネイルサロンに学ぶ③

ネイルズユニークロゴ

logo_nailsunique_b

父親との約束100店舗達成

100店舗達成は2005年春 客層別に3ブランドでサロン展開

1997年に9店舗、1998年からは毎年2桁台ペースで店舗数を拡げていった。東京への進出も1997年を皮切りに、1998年には博多、名古屋にもサロンをオープン。日本中に張り巡らされる支店網、目を瞠る躍進ぶりに誰もが驚愕するなか、2005年春、念願の100店舗を達成!

「父が生きている間に…の思いが叶い、見届けてもらうことができました」。
自社のホームページには来年の春までの開業、リニューアル予定がぎっしりと掲載されている。
「新規にオープンする一方で撤退する店もあります。そもそもの目標は100店舗でしたし、これ以上拡大したいという気持ちはないのです」。

ネイルズユニーク水野社長は確信をもって語る。
「ゴールは100店舗だった。一気に突っ走ってきたから、急には止まれない。今は助走で走っているだけと。」
現在、コンセプト別に3ブランド(ネイルズユニーク、ラ・ネイル、アルティミッド)を展開。
「お客さまは年代、趣味志向、収入によっても行くところが違うので、ターゲットにあわせてポリシーの振り分けをしているんですよ。メニューや価格、ネイリストのユニフォームもすべて違いますし、インテリアもグレードも変えています」。

700品目を超えるネイルグッズ

ちなみに

  • ネイルズユニーク』は、700品目を越えるネイルグッズを取り揃えるスタンダードなネイルサロン。
  • ラ・ネイル』は、オープン形式の気軽に行けるネイルサロンで、リーズナブルな値段設定。
  • アルティミッド』は、最先端のネイルサービスを提供するとともに、オリジナルマニキュア&ネイルアート用品も販売。

当然、ネイリストもブランドの個性を考えての配属。3ブランドにコンセプトをわけていても、「ネイルサロンは、女性のお客さまにリラックスしていただくための場所でありたい」が、ネイルズユニークオブジャパンの一貫したポリシーである。

ネイルズユニーク水野社長|日本一のネイルサロンに学ぶ②

父親の一言がきっかけに

2号店(岡本)の開業は1990年、3号店(神戸ハーバーランド)は1994年。

「そんな時期、父が大病を患いました。医者は長男の僕だけに余命を宣告したのです。ある日、父と食事をしていたら”おまえに100店舗は無理やな”って言われましてね」。

この一言が、ネイルズユニーク水野社長が店舗を急増するきっかけになった。

「激励の意味で言ってくれたことはわかっていましたし、父の強がりも知っているので、何とか生きている間に100店舗を実現して見せてあげたいと、無謀なことをしただけですよ。ふり返ってみたら”やってしまった!”」(笑)

“自分としては5店舗でも、10店舗でもよかった。ネイリストとして十分幸せに思っていた”とふり返る水野社長だが”息子にとって父親の存在は大きい、師匠でもあり、永遠のライバル”ー自らに課した大任は、負けじ魂とともに、父親への一途な思いだったに違いない。

思わぬ試練を乗り越えて

決意をした矢先、あの阪神淡路大震災(1995年1月)の勃発!

すべてのサロンが全壊。足の踏み場もない床は、割れたポリッシュで真っ赤に染まった…。

「京阪神の人すべてが大変だったので、ウチだけがとは思いませんでしたが、水道や電気といったライフラインも途絶えている状況、お客さまが戻ってくれるだろうかという心配はありました」。

しかし、立ち直りを支えてくれたは他ならぬお客さまたち。ミネラルウォーターや食糧をもって駆けつけてくれたという。

「街も復旧してない状況でしたが、震災の1ヶ月後にサロンを再開しました。」

ネイルズユニーク|中井香織さん

ネイルズユニークチーフエグゼクティブエデュケーター
アジアネイルフェスティバルアジアカップ総合2位
インターナショナルネイルエキスポ全日本ネイリスト選手権プロ部門総合グランドチャンピオン
JNA常任本部認定講師マスターエデュケーター

ネイルズユニーク中井香織Blog